2008/3/6
宏典くんのママより
ご無沙汰しております。ニューヨーク時間の2月23日、日本時間の2月24日は、宏典が昨年移植手術を受けた日でした。移植手術から、まる1年。ここまで、大きな問題もなく、元気に過ごすことができましたこと、大変うれしく思っています。
友人のメールに「ひろくん自身が今、奇跡の積み重ねでここに存在しているのですね。。。」という一文がありました。まさにその通りだなと思います。宏典がここに生きていてくれることは、ひとつの奇跡からだけではなく、いくつもの奇跡が重なり、今こうして目の前で笑っていてくれていると強く思います。(奇跡ということばが一番ふさわしいのかどうかは、わかりませんが。)
移植に進むと決めたあの日から、救う会を立ち上げ、救う会のみなさんのおかげで猛スピードで準備が整い、日本全国の善意を寄せてくださったみなさんのお陰で、1か月足らずで目標額に到達し、予定よりも早くニューヨークに渡り、コロンビア大学こども病院に入院することができました。そして、日に日に状態の悪くなる宏典のからだの限界の近づいたことをドクターから申し渡された2日後、ドナーが現れてくれたのでした。その時、宏典は39度以上の熱が2日続いていました。そして、手術は見事に成功し、心配されていた他の臓器の後遺症も残らず、体力もみるみる回復してくれました。
2年以上、発育も停滞していましたが、身長も86cmから93cmに、体重も9kg弱(腹水を除いて)から17.6kgになりました。時々、みなさんにお伝えしていますが、とっても活発な、そしてたくましい三男坊です。今は、仮面ライダー電王にはまり、朝は起きると「俺!参上!(電王のセリフです)」といって、2階から顔を出します。相変わらず、仮面ライダーは大好きで、1号2号V3は欠かせません。あと、ひょっとこな面もでてきて、家族の前でおどけた格好をして笑わせたり、漫才の真似をしたり。。。まだ、子どもたちの集団の中に入る許可がでないので、家中心の生活ですが、表情豊かに、遊びも豊かに毎日過ごしています。口の悪いのにも手を焼いていますが。
今日は、丸1年を無事過ごせたこと、そして、昨日がドナーの子の命日でもあることから、以前からお世話になっているお寺に夫婦ででかけました。そこで和尚さんからいろいろなお話をしていただきました。私はその言葉に涙が何度もあふれてしまいました。夫婦でずいぶん長いことお話を聞き、お寺をあとにしましたが、その帰り道の心はとても清々しくすっきりとしたものでした。これからの自分たちの生き方を示唆するようなお話もあり、ほんとうにありがたい時間でした。
これからも、今日、家族が皆元気で過ごせること、家で家族がともに暮らせること、そして、何よりも今日の命に感謝しながら、一日一日を大切に過ごしてまいりたいと思います。これからも、どうぞ、宏典の成長を温かく見守っていただけたらと思います。
最後になりましたが、井川選手の活躍をいつも応援しております。ニューヨークでの応援は叶いませんでしたが、いつか、宏典をつれて応援に行きたいと思っています。それまで、大リーグの一線で活躍し続けていてくださいね。
宏典のママより
★★★ 宏典を応援してくださった皆様へ ★★★
「Never Give Up -決してあきらめない-」
今日の日まで、共に宏典の命を見守ってきてくれた皆さん。どうもありがとう。 宏典は、「治療法のない末期がんのようなものだ」と言われながらも、その命の火を灯し続けてきました。ニューヨークに渡ってからも、「ここまで進行した拘束型心筋症は見たことがない。たとえ、移植がうまくいっても多くの後遺症が残るだろう」と、厳しいことばかり言われてきました。その間、辛い検査や厳しい制限、たくさんの痛みや薬・・・・・、耐えることばかりでした。けれど、宏典はこの試練を乗り越えてくれました。すべての苦痛にじっと耐えながら、生きることを決してあきらめず、闘い抜いてくれました。
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移植手術を受ける数日前のこと、このまま悪くなれば移植もうけられない事態も起こりうる(状態が悪すぎて、移植手術を受けるには適さない)とドクターから申し渡されました。最悪の結末が私の頭をよぎりました・・・・・家族と離れたまま、異国の地で迎える別れです。 でも私は、それをすぐに頭の中から、かき消し ました。「そんなことはない!宏典は絶対に生きる!ここまで苦しんで進んできたんだもの、絶対に乗り越えるんだ!私は絶対にあきらめない!!」 それは、崩れそうになる自分を必死に支え、自分をふるいたたせるため、強く強く自分に言い聞かせる言葉でした。
翌日につらい検査を控えたある夜中、突然ドクターに起こされました。「宏典にあうドナーがみつかった!」夢を見ているのではないか。もう一度、聞きなおすと確かにそう言っています。ありがたくて、ありがたくて、すぐに日本の家族に連絡をし、手術に向けて心の準備をはじめました。
けれども、喜びもつかの間 、今度は手術への不安が襲ってきました。
一度、宏典の心臓を止めて機械につなぎ、ドナーの元気な心臓と交換するという手術です。いつどんなトラブルが発生するかわかりません。手術中に命を落としてしまうことだってあります。温かい宏典に触れるのも、話すのも、これが最期になるかも・・・。
「絶対に生きる!私がそれを信じてやらなくてどうする。
絶対に私はあきらめない!」
これまで、何度も襲った不安をかき消してきたこの言葉がまた頭に強くうかびます。
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早朝から、手術の準備がはじまりました。宏典は、ただならぬ雰囲気に不安そうです。私は、精一杯普段通りにつとめ、笑って宏典に向き合います。手術室で彼が眠るまで少しの恐怖も不安も持たぬよう、私は必死でした。手術室に向かう時間の近づいた宏典に、ゆっくりと、手術の説明をします。「・・・今までよく頑張ってきたね。これでひろくんは元気になれるよ。だから、がんばろうね。もう痛いことも全部終わり。お茶も好きなだけ飲めるよ。終わったら、おうちに帰ろうね・・・」宏典は、私の説明に静かにうなずきました。ストレッチャーに二人で乗り、ずっと話をしながら手術室に向かいました。宏典も私の笑顔に安心したのか、いつも の表情です。手術室にはいり、そのものものしさにあたりをキョロキョロと見まわし、少し不安顔になりましたが、最後は私の笑う顔を見ながらゆっくり眠っていきました。
手術室を出た直後、せきを切ったように涙が溢れました。他に何もしてやることのできない私の、母親としてわが子を不安や恐怖から守る必死の闘いを終えた後の涙でした。
手術室に入って、予定の3時間を過ぎました。4時間が過ぎ、5時間・・・・・まだ、宏典は戻ってきません。
でも、この時の私は、何時間たとうが、「宏典は必ず私のもとに戻ってくる!」という強い確信が崩れることはありませんでした。
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手術室に入って6時間半後、宏典は帰ってきました、たくさんのチューブをつけて。
「宏典、よく頑張ったね。ありがとうね。」と頭をなでてやりました。 手術後、ドクターが心配していた他の臓器への影響も深刻ではなく、宏典は順調に回復しています。まだまだ、問題も抱えていますが、今は毎日歩く練習をしたり、たくさん歌を歌ったり、家にいたころと同じ笑顔がここにあります。みなさんの祈りとともに、「Never Give Up!決してあきらめない!」がうんだ一つの奇跡だと思えるのです。宏典とともに、苦しくて、辛くて逃げ出したいとき、逃げ出さず、あきらめず、ただただ大丈夫と強く信じて、そのつらい時期が過ぎ去るのをじっと耐えてよかった・・・と。
友人のメールに「ひろくん自身が今、奇跡の積み重ねでここに存在しているのですね。。。」という一文がありました。まさにその通りだなと思います。宏典がここに生きていてくれることは、ひとつの奇跡からだけではなく、いくつもの奇跡が重なり、今こうして目の前で笑っていてくれていると強く思います。(奇跡ということばが一番ふさわしいのかどうかは、わかりませんが。)
移植に進むと決めたあの日から、救う会を立ち上げ、救う会のみなさんのおかげで猛スピードで準備が整い、日本全国の善意を寄せてくださったみなさんのお陰で、1か月足らずで目標額に到達し、予定よりも早くニューヨークに渡り、コロンビア大学こども病院に入院することができました。そして、日に日に状態の悪くなる宏典のからだの限界の近づいたことをドクターから申し渡された2日後、ドナーが現れてくれたのでした。その時、宏典は39度以上の熱が2日続いていました。そして、手術は見事に成功し、心配されていた他の臓器の後遺症も残らず、体力もみるみる回復してくれました。
2年以上、発育も停滞していましたが、身長も86cmから93cmに、体重も9kg弱(腹水を除いて)から17.6kgになりました。時々、みなさんにお伝えしていますが、とっても活発な、そしてたくましい三男坊です。今は、仮面ライダー電王にはまり、朝は起きると「俺!参上!(電王のセリフです)」といって、2階から顔を出します。相変わらず、仮面ライダーは大好きで、1号2号V3は欠かせません。あと、ひょっとこな面もでてきて、家族の前でおどけた格好をして笑わせたり、漫才の真似をしたり。。。まだ、子どもたちの集団の中に入る許可がでないので、家中心の生活ですが、表情豊かに、遊びも豊かに毎日過ごしています。口の悪いのにも手を焼いていますが。
今日は、丸1年を無事過ごせたこと、そして、昨日がドナーの子の命日でもあることから、以前からお世話になっているお寺に夫婦ででかけました。そこで和尚さんからいろいろなお話をしていただきました。私はその言葉に涙が何度もあふれてしまいました。夫婦でずいぶん長いことお話を聞き、お寺をあとにしましたが、その帰り道の心はとても清々しくすっきりとしたものでした。これからの自分たちの生き方を示唆するようなお話もあり、ほんとうにありがたい時間でした。
これからも、今日、家族が皆元気で過ごせること、家で家族がともに暮らせること、そして、何よりも今日の命に感謝しながら、一日一日を大切に過ごしてまいりたいと思います。これからも、どうぞ、宏典の成長を温かく見守っていただけたらと思います。
最後になりましたが、井川選手の活躍をいつも応援しております。ニューヨークでの応援は叶いませんでしたが、いつか、宏典をつれて応援に行きたいと思っています。それまで、大リーグの一線で活躍し続けていてくださいね。
宏典のママより
★★★ 宏典を応援してくださった皆様へ ★★★
「Never Give Up -決してあきらめない-」
今日の日まで、共に宏典の命を見守ってきてくれた皆さん。どうもありがとう。 宏典は、「治療法のない末期がんのようなものだ」と言われながらも、その命の火を灯し続けてきました。ニューヨークに渡ってからも、「ここまで進行した拘束型心筋症は見たことがない。たとえ、移植がうまくいっても多くの後遺症が残るだろう」と、厳しいことばかり言われてきました。その間、辛い検査や厳しい制限、たくさんの痛みや薬・・・・・、耐えることばかりでした。けれど、宏典はこの試練を乗り越えてくれました。すべての苦痛にじっと耐えながら、生きることを決してあきらめず、闘い抜いてくれました。
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移植手術を受ける数日前のこと、このまま悪くなれば移植もうけられない事態も起こりうる(状態が悪すぎて、移植手術を受けるには適さない)とドクターから申し渡されました。最悪の結末が私の頭をよぎりました・・・・・家族と離れたまま、異国の地で迎える別れです。 でも私は、それをすぐに頭の中から、かき消し ました。「そんなことはない!宏典は絶対に生きる!ここまで苦しんで進んできたんだもの、絶対に乗り越えるんだ!私は絶対にあきらめない!!」 それは、崩れそうになる自分を必死に支え、自分をふるいたたせるため、強く強く自分に言い聞かせる言葉でした。
翌日につらい検査を控えたある夜中、突然ドクターに起こされました。「宏典にあうドナーがみつかった!」夢を見ているのではないか。もう一度、聞きなおすと確かにそう言っています。ありがたくて、ありがたくて、すぐに日本の家族に連絡をし、手術に向けて心の準備をはじめました。
けれども、喜びもつかの間 、今度は手術への不安が襲ってきました。
一度、宏典の心臓を止めて機械につなぎ、ドナーの元気な心臓と交換するという手術です。いつどんなトラブルが発生するかわかりません。手術中に命を落としてしまうことだってあります。温かい宏典に触れるのも、話すのも、これが最期になるかも・・・。
「絶対に生きる!私がそれを信じてやらなくてどうする。
絶対に私はあきらめない!」
これまで、何度も襲った不安をかき消してきたこの言葉がまた頭に強くうかびます。
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早朝から、手術の準備がはじまりました。宏典は、ただならぬ雰囲気に不安そうです。私は、精一杯普段通りにつとめ、笑って宏典に向き合います。手術室で彼が眠るまで少しの恐怖も不安も持たぬよう、私は必死でした。手術室に向かう時間の近づいた宏典に、ゆっくりと、手術の説明をします。「・・・今までよく頑張ってきたね。これでひろくんは元気になれるよ。だから、がんばろうね。もう痛いことも全部終わり。お茶も好きなだけ飲めるよ。終わったら、おうちに帰ろうね・・・」宏典は、私の説明に静かにうなずきました。ストレッチャーに二人で乗り、ずっと話をしながら手術室に向かいました。宏典も私の笑顔に安心したのか、いつも の表情です。手術室にはいり、そのものものしさにあたりをキョロキョロと見まわし、少し不安顔になりましたが、最後は私の笑う顔を見ながらゆっくり眠っていきました。
手術室を出た直後、せきを切ったように涙が溢れました。他に何もしてやることのできない私の、母親としてわが子を不安や恐怖から守る必死の闘いを終えた後の涙でした。
手術室に入って、予定の3時間を過ぎました。4時間が過ぎ、5時間・・・・・まだ、宏典は戻ってきません。
でも、この時の私は、何時間たとうが、「宏典は必ず私のもとに戻ってくる!」という強い確信が崩れることはありませんでした。
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手術室に入って6時間半後、宏典は帰ってきました、たくさんのチューブをつけて。
「宏典、よく頑張ったね。ありがとうね。」と頭をなでてやりました。 手術後、ドクターが心配していた他の臓器への影響も深刻ではなく、宏典は順調に回復しています。まだまだ、問題も抱えていますが、今は毎日歩く練習をしたり、たくさん歌を歌ったり、家にいたころと同じ笑顔がここにあります。みなさんの祈りとともに、「Never Give Up!決してあきらめない!」がうんだ一つの奇跡だと思えるのです。宏典とともに、苦しくて、辛くて逃げ出したいとき、逃げ出さず、あきらめず、ただただ大丈夫と強く信じて、そのつらい時期が過ぎ去るのをじっと耐えてよかった・・・と。